お茶の博物館
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日本茶博物館

戦前−健康飲料と普及嗜好品

 第一次大戦終了後まで日本茶の輸出は続きました。1920年頃からアメリカ人は日本茶から紅茶を好み始め、第一次大戦前の経済ブロック化で日本茶は海外市場を失いました。その間日本国内での煎茶は広まりました。

 お茶は大正末期から研究が進み、再認識されるようになりました。

 またお茶を配合した製品も開発されました。戦時中嗜好品としてのお茶は不要であるという議論もありましたが、日常生活に潤いを与える必需品であることを強調して、命脈を保ちました。お茶は昭和18年(1943年)にはビタミン類の補給源として軍の基本糧食に位置付けられました。

 この間、1904年星野で玉露の試製がされたりしました。1916年には第一回全国製茶品評会が静岡で開かれました。1916年には国立茶業試験場が設立されました。1925年には6工程の煎茶機械製造が確立され製茶機械の導入が急速に進みました。1933年にはシカゴの世界博覧会に日本茶と茶道具を出品しました。


戦前のお茶の主要科学研究年表

1820年 スイスの生理学者ルンゲがカフェインを発見
1847年 ドイツのロチェルダーは、茶葉中にタンニンの存在を発見し、
緑茶中から没食子酸の抽出に成功
1924年 三浦政太郎、辻村みちよは、日本緑茶に大量のビタミンCが含まれると発表
1927年 山本頼三は緑茶からカテキンに類似した物質を分離
1929年 辻村みちよは緑茶から(−)エピカテキンを単離
1932年 辻村みちよ、山本亮はビタミンAの前駆物質を分離
1933年 大島康義、合馬輝男は茶からガロカテキンを分離
1935年 辻村みちよは、カテキンの没食子酸エステルの(−)エピカテキンガレードを分離
1941年 辻村みちよは緑茶中からケンフェロールとケルセチン(ビタミンA)を分離
(入間博物館 「お茶と日本人」より引用)

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